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社会人に質問!あなたの学生時代や仕事の軸とは?―Webコンサルタント

  • 大学1,2年生
  • 2022.05.27
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プロフィール

平川 佳代子さん(59歳/社会人37年目)
広島大学を卒業後、1985年に新卒で電機メーカーにシステムエンジニア(以下、SE)として入社。4年の実務経験後、結婚を機に退職。2児の出産を経て、子育ての傍ら、派遣社員として土木コンサルタント会社で土地の調査・資料作成を担当。SE経験を生かして、ITサポートや講師業務をフリーランスで請け負うなど多方面で活動。2007年、研究開発型Webコンサルティング事業を展開する株式会社ペンシルにアルバイトとして入社。クライアントの月次レポート作成や調査業務を担当する。一時期は、自分と夫の両親や叔父叔母の介護など、最大6人の介護と仕事を両立させ、現在も在宅勤務を続ける。

結婚、出産・育児、介護など、仕事とプライベートを上手く両立しながら働くことができるかどうか不安に思う人は少なくありません。そんな漠然とした不安を抱える方に向けて、介護と働くを両立した平川さんのキャリア変遷を取材しました。

社会心理学ゼミの調査分析に没頭

――大学ではどんな活動をされていたのか、学生時代について教えてください。

社会心理学のゼミに入り、その時々の社会事象をテーマに定量・定性調査(アンケート)分析をしていました。調査から世の中の動きが見えてくるのが面白く、ゼミ仲間とは真面目に議論したり、スポーツを楽しんで発散したりと長い時間を過ごしました。
生活費を自分で稼ぐために、教育系の出版社で編集アシスタントのバイトをしていました。高校生向けのキャンパス情報誌を作ったこともあり、ものづくりが楽しくて4年間続けました。

仕事とプライベート、バランスよく続けられる働き方を描いていた

――大学卒業後はSE職に進んでいます。なぜこの職種を選んだのでしょうか。

大学卒業後は地元・福岡に戻る約束を父としていて、Uターンが前提条件でした。地元の企業を見ている中で、私にもできそうと興味を持ったのがSEだったんです。大学で学んだプログラミングは、決して得意とは言えなかったけれど白黒はっきりする世界は好きでした。仕事を通じて学んでいこうと考えました。


――学生時代、将来のキャリアをどう描いていましたか。

「プライベートを大切にしながら仕事を続けられたらいいな」と考えていました。私の母は教員をしていて、当時は出産1か月後には職場復帰をしなければならない時代だったんです。私の学校行事には母の仕事がことごとく被り、寂しさもありました。だから私は「仕事か家庭か」という二者択一で考えるのではなく、両方をバランスよく続けられるような働き方がしたいと思っていました。


――明確な思いがあったんですね。SEは手に職をつけるという点でも、キャリア観と合っていたのでしょうか。

その点は、大学の先生にいただいたアドバイスが生きています。就職先を相談したとき「これからの社会で、パソコンスキルは必ず武器になる。若いうちに学べば、その後違うキャリアに進んでも活きるはず」と言われ納得感がありました。また、国立大学を卒業したことを「国の税金で学んでいるのだから、卒業後は社会に還元しなくてはいけないよ」とおっしゃっていたのも、心に残っています。仕事でも、違う形であっても、社会に貢献しようという意識はそこで芽生えたような気がします。

子育てと在宅勤務を両立。大学時代の調査経験、1社目のSEスキルが生きた

――新卒入社後から、これまでのキャリアの流れを教えてください。

私が社会人になった1985年は男女雇用機会均等法が制定された年でした。同期50人中、女性は10人。ちょうど社会の価値観が変容していく中で、性別に関係なくSEとしてスキルを習得できた、私のキャリアにとっても貴重な時間でしたね。

4年後、結婚と夫の転勤を機に退職。息子2人を出産した後、派遣社員として土木コンサルティング会社で働き始めました。大学時代に調査分析をしていた経験がここで生きて、土地の調査・報告書作成業務を任されることになりました。河川敷に公園を作る事業があれば、その土地の特性をリサーチしながら、数年後に形になっていくのを想像したりして…。街づくりの一端を担う仕事にやりがいを感じていましたね。


――子育てと両立しながら続ける中、工夫されていたことはありますか。

在宅勤務だったので無理なくできていました。繁忙期が過ぎると、前職のSE経験を生かしてITサポート業務やパソコン講習の仕事をフリーで請け負うなど、仕事は途切れることなく続けていましたよ。今だったらフルタイム(正社員)勤務でも続けられたと思いますが、当時はまだまだ選択肢が少なかった。プライベートも大事にする、と決めていたので、派遣やフリーランスという働き方を選択しました。


最大6人の介護と両立。仕事があったから続けられた

――現職に至った経緯を教えてください。

息子たちが中学生になったことを機に、働き続けられる環境を求めて、2007年にペンシル社にアルバイト入社しました。決め手は、当時は珍しい“在宅勤務可”だったこと。面接で「仕事をする上で重要なのは、場所ではない」と言われ、なんて先進的な会社なんだと驚きました。業務内容は調査分析や資料作成など、コンサルタントのアシスタント業務だったので、これまでの調査スキル、ITスキルも生かせると思いました。


――アルバイトとして入社ということですが、正社員は検討されなかったのですか?

もともとフリーランス気質があったことが大きいのですが、途中から介護が自分の上にのしかかってきたことが大きかったですね。


――現在はどのような働き方をしていますか。

介護と両立させながら、ほぼ在宅勤務で働いています。一時期は両親の介護のほか、叔父と叔母夫婦、夫の両親と最大6人の介護が重なり、月に数日しか出社できなかったことも…。叔父叔母は実家の隣に住んでいたり、夫が単身赴任で両親を看られなかったりと、さまざまな状況が重なったんです。


――最大6人!どうやりくりをしていたのか、想像もつきません。

ケアマネジャーの方と密に連携を取り、デイサービスをフル活用しました。介護を経験して分かったことは、一人で全部やろうとするとみんな共倒れになることです。介護される側、する側両者の心身の健康と幸せのためにも、プロの力はどんどん借りた方がいい。私の父は「家で過ごしたい」と、よく駄々をこねましたが、そんなとき力強い味方になったのが仕事の存在でした。「私にも仕事があるんだから無理よ」と言えることで、みんなが納得して現状を受け入れることができた。何よりも私自身が、介護と離れた世界を持っていることが心の支えであり、切り替えにもなっていましたね。


――介護を続けるにあたり、仕事は欠かせないものだったんですね。

仕事がなかったら、介護のことで頭がいっぱいになって、ネガティブな感情も生まれていたかもしれません。介護はいつまで続くかわからなくて、基本的に、状況が良くなることはありません。仕事という、まったく違う分野で自分の能力を生かせる場は、本当に救いになりました。改めて、ずっと働き続けてきてよかったなと思いましたね。


学生の皆さんへのメッセージ

――最後に、学生の皆さんへのメッセージをお願いします。

これからは、「いい企業に入ったら将来安泰」という社会はもうやってこないでしょう。自分にとってどういう働き方が理想なのか、常に考え、描いていくことが大切だと思います。大学生活は、自由な時間が増えます。だからこそ、「これをやりたい」「こんな4年間を過ごしたい」と決めて動く人と、そうではない人との差が大きく出てしまう。勉強でもアルバイトでも部活やサークル活動でも、「こんなことを学びたい」と常に目的を考えながら動いてほしいと思います。

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